静岡地方裁判所 昭和61年(行ウ)7号 判決 1991年11月15日
原告
鈴木一仁
右訴訟代理人弁護士
阿部浩基
同
増本雅敏
同
萩原繁之
被告
静岡労働基準監督署長
杉山俊夫
右訴訟代理人弁護士
渡邊丸夫
右指定代理人
浅野晴美
外八名
主文
一 被告が、昭和五七年九月二二日付で鈴木敏恵に対してなした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとの処分を取消す。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文と同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
訴外鈴木敏恵(以下「敏恵」という。)は、亡鈴木光(以下「光」という。)の妻であり、原告は、光と敏恵との間に生れた長男であるが、敏恵は、昭和五八年二月一六日死亡した。
2 光の死亡に至る経過
光は、昭和一四年一〇月二八日に生まれ、昭和三三年一月二一日、三菱電機株式会社静岡製作所(以下「静岡製作所」という。)に臨時工として採用され、同三五年一二月二一日本工採用となり、同五五年七月一一日死亡するに至るまで静岡製作所に勤務していた。
そして、光は、静岡製作所の資材部資材管理課現品係員として勤務中、静岡製作所から、昭和五五年七月一日から約一か月間、埼玉県富士見市所在のマツモト電器株式会社鶴瀬店(以下「マツモト電器店」という。)に出張してマツモト電器店の販売応援の業務に従事するよう命じられ、右応援販売業務(以下「本件業務」という。)に従事した。
ところが、光は、右応援販売業務に従事中の同月五日午後四時ごろから身体の不調を訴え、翌六日から帝京大学医学部付属病院(以下「帝京大学病院」という。)に入院して治療を受けたが、同月一一日、脳出血による死亡するに至った。
3 保険給付請求と不服申立て等
敏恵は、光の死亡は、本件業務に起因して発生した業務災害であるとして、昭和五六年五月六日、被告に対し、労働者災害補償保険法に基づき、遺族補償給付及び葬祭料の支給の請求をなしたところ、被告は、昭和五七年九月二二日付で被告の死亡には業務起因性が認められないとして、右遺族補償給付及び葬祭料の支給をしない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。
敏恵は、昭和五七年一一月二六日、本件処分を不服として静岡労働者災害補償保険審査官に対し審査請求を行ったが(昭和五八年二月一六日敏恵の死亡により原告が受継した。)、同審査官は、昭和五九年三月二五日付けをもって右審査請求を棄却する旨の決定をした。
原告は、これを不服として、同年五月二五日、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、昭和六一年五月二一日付をもって右再審査請求を棄却する旨の裁決を行い、同年六月一三日、同裁決書の謄本が原告あてに送達された。
4 取消の理由
しかしながら、光の死亡は、次のとおり、本件業務上の死亡であるから、本件処分は違法であり、取消しを免れない。
(一) 死亡に至る経緯
(1) 経歴等
① 家族構成
光は、昭和一四年一〇月二八日生れで、昭和四二年一一月七日、敏恵と婚姻し、敏恵との間に長男である原告(昭和四三年五月二三日生)をもうけた。子供は原告一人であったが、昭和五四年一二月からは光の母鈴木静子(明治四〇年三月三日生)が光の家族の一員として同居していた。
② 職歴
光は、昭和三三年、静岡製作所に臨時工として入社、冷蔵庫組立の仕事に従事し、昭和三五年本工に採用となった。昭和四一年からはルームエアコンの組立の仕事に変わり、以後、小型空調機工作係(昭和四三年)、空調機工作第一課生産管理係(昭和四四年)、空調機小型空調工作係(昭和四六年)、工作第一課工程係(昭和四六年)、工作工程係(昭和四九年)を経て、昭和四九年九月より資材管理課現品係に配属となった。
③ 健康状態
光は、昭和五〇年一〇月以降同五四年一〇月まで、静岡製作所において毎年一回行われた定期健康診断では胸部エックス線検査、尿検査及び肝機能検査については特に異常がなかったが、血圧については、収縮期血圧(最大血圧)には問題はなかったものの、拡張期血圧(最小血圧)は、昭和五〇年に九六、昭和五三年に九〇とやや高値を示した。
また、光は、昭和五二年及び昭和五三年は十二指腸潰瘍で治療中であり、同年から昭和五五年にかけてもなおその治療のため投薬を受けており、マツモト電器店への出張に際しても、その薬を携帯していったものであって、出張時には、十二指腸潰瘍が完治にまでは至っておらず、一時的には痛みは止まっていたものの、光としては、十二指腸潰瘍の再発に不安を抱いている状態であった。
④ 性格
光は、几帳面で、責任感が強く、仕事熱心であったが、他方、性格が内向的で、無口でおとなしく、温和である他、神経質な面も持ち合わせており、接客業に不向きな性格であった。
(2) 出張中及び出張前後の状況
① 出張中の業務内容及び労働時間等
年月日(曜日)
時刻
場所
業務内容等
昭和五五年
七月一日(火)
七・三三
静岡駅発(新幹線)
出張のため三菱電機(株)営業部業務課主事山本修亮が引率し、鈴木光、村田充、杉本道彦、 和田富美男の四名が同行した。
九・〇〇
東京駅着
国鉄、京浜東北線に乗り換え、大宮駅着。大宮駅からタクシーで関越商品営業所へ。
一〇・三〇
関越商品営業所
(大宮市大成町)
営業所の所員から店頭販売における注意事項、販売状況、主力商品の状況、安全上の注意等説明を受けた。
一三・五〇
関越商品営業所
販売会社へ移動のため営業所の佐藤賢一の車で出発、村田充、杉本道彦が同行した。
一四・一〇
南埼玉三菱商品販売
(大宮市指扇)
あいさつ及び担当者と面談した。
一六・〇〇
南埼玉三菱商品販売
仕事終了。
一六・三〇
宿舎三楽荘
(大宮市土手町)
宿舎に落ち着き、村田充、杉本道彦と同宿。
昭和五五年
七月二日(水)
九・三〇
南埼玉三菱商品販売
出社し、ただちに販売の前田課長の運転する車でマツモト電器店へ移動した。
一〇・〇〇
マツモト電器店
(埼玉県富士見市)
小島店長と面接し、応援受入れの説明とマツモト電器店の業務一般について説明を受けた。マツモト電器店の労働条件は営業時間 一〇・〇〇~一九・〇〇勤務時間 九・三〇~二〇・〇〇休憩時間 昼休み交替で六〇分午後一五・〇〇~一六・〇〇の間一〇分ないし一五分交替で取る。 営業品目は、一般家庭電気製品、オーディオ製品の販売。従業員は、二一名(サービス部門三名含む。)吉田主任から店内の案内及び同僚の紹介を受けた。
一二・三〇
マツモト電器店
三菱電機(株)営業部業務課主事の山本修亮が東京駅からマツモト電器店に電話し、光と直接会話。光から「小島店長はじめまわりの人達が面倒をみてくれるので 一生懸命やります」との返事があった。午前から午後まで、店内の説明と一日の仕事内容の説明を受けた後、季節品コーナーで手助け程度の仕事をした。
二〇・〇〇
マツモト電器店
仕事終了。退店。
二一・三〇ころ
富士館
(東京都文京区)
富士館着(同室 井口静雄(以下「井口」という。)、豊田義雄)。当日以降の宿舎となる富士館への通勤経路は左のとおり「マツモト電器店→徒歩五分で東上線鶴瀬駅→池袋駅まで三五分→池袋駅で地下鉄丸ノ内線に乗り換え、本郷駅まで一〇分→宿舎の富士館まで徒歩三分」所要時間は約一時間二〇分である。
二二・三〇ころ
富士館
就寝。
昭和五五年
七月三日(木)
八・〇〇
富士館
富士館を出発。
九・二〇から
一四・〇〇まで
マツモト電器店
出社。
朝礼に引き続き商品の清掃(濡れたタオルで商品を拭く作業)その後伝票の書き方、接客、電話の応対、商品の整理、 他社の製品の知識、カタログ読み等説明を受けた。
引き続き季節品コーナーで接客の手助け。
一四・一四
店の近辺の家庭訪問
例年七月四日から行う「電化ショー」の売出しの「チラシ」約一〇〇件の手配りのため、社員とヘルパーの二人一組で、店から歩いて一〇分ほどの 範囲の各家庭を訪問し、チラシを持参して売出しの説明をして廻った。
一六・三〇
家庭訪問終了
マツモト電器店
店の売場に戻る。
季節品コーナーで接客の手助け。
二〇・〇〇
マツモト電器店
仕事終了。
二一・〇〇ころ
富士館
富士館着。
昭和五五年
七月四日(金)
九・三〇
マツモト電器店
出社。
「売出し」に入る。期間は七月四日から七月七日まで。
二〇・〇〇
マツモト電器店
仕事終了。富士館へ。
二一・〇〇ころ
富士館
富士館着。
昭和五五年
七月五日(土)
八・〇〇
富士館
富士館を出発。
九・三〇
マツモト電器店
朝、いつもと何ら変わらず商品の清掃でスタートし、以後季節品コーナーで接客の業務。
② 出張前後の業務内容の比較
出張前
出張中
業務内容
資材部現品係。仕事の内容は、下請業者から納品されたエアコン関係の部品の検収・保管及び現場からの請求(伝票による)によって、必要な部品をフォークリフトでラインに払い出す作業である。
マツモト電器店は、一般家庭用電気製品、オーディオ製品の店頭販売をしている店であるが、光は、主にエアコン(三菱電機の製品に限定されない。)の接客販売に従事した。
最初に、清掃のやり方、店内で立つ位置、伝票の書き方、在庫管理などにつき説明を受けた後、他のヘルパー同様店頭に立つ。
最初のうちは、展示品の清掃、商品整理、通路の整理は単独でやったが、 接客販売は担当職員の応援を受けていた。
一日中、立ちっぱなしのままで仕事をする。
労働時間
①午前七時三〇分ころ、自家用車で出勤。
②午前八時一五分から午後五時まで勤務。休憩時間は昼休み四五分間(拘束八時間四五分、実働八時間)。
③午後六時頃帰宅。
④完全週休二日制。
⑤出勤前六か月間に、月平均二五時間の時間外労働を行い月平均二日の休日出勤を行った。
⑥残業のあるときは午後八時ころ帰宅。
①七月一日
午前七時三三分発の東京行新幹線に乗り、東京駅から京浜東北線で大宮まで行き、タクシーで午前一〇時半ころ関越商品営業所に到着。 佐藤所長よりエアコンの販売状況主力商品の説明、店頭販売での注意などを受ける。午後一時五〇分、佐藤所長運転の車で南埼玉三菱商品販売(株)に向かいそこで石川課長より話を聞き、午後三時ころ、宿舎三楽荘(大宮市内)に到着。
②七月二日
電車を乗り継いで午前九時に南埼玉三菱商品販売(株)に出頭し、そこから車でマツモト電器店に出社。簡単な説明を受けた後、午前のうちから昼休みをはさんで午後七時半まで店頭に立ち午後八時頃退社、 東上線、地下鉄丸ノ内線を乗り継いで午後九時過ぎに宿舎富士館着。
③七月三、四日
午前八時ころ、宿舎富士館を出発、地下鉄・電車を乗り継いで約一時間二〇分かかってマツモト電器店着。
午前九時三〇分から午後八時ころ間まで勤務。休憩時間は昼休み六〇分、午後一〇?一五分(拘束一〇時間三〇分、実働九時間一五分?二〇分)。
午後九時三〇分ころ宿舎富士館着。
④七月五日
右と同様に出勤、勤務。午後四時ころ、頭痛、気分の悪いことを訴える。
(3) 発症の経緯
年月日(曜日)
時刻
場所
光の発症の経緯
昭和五五年
七月五日(水)
一六・〇〇
マツモト電器店
エアコン売場にて光の様子がおかしいので確かめると、光は、頭痛がし、気分が悪いと訴えた。そこで、店の者が光に対して二階の店長室のソファーで休むよう勧めた。
一七・〇〇
マツモト電器店二階
店長室
光が椅子に座ったまま頭を押さえているので店長が声をかけた。
光を店長室の応接椅子に寝かせた。
吉田主任が光に対し「帰りませんか」と声をかけると、光から気分が悪くもう少し寝ていたいとの返事があったので、そのまま休ませた。
光は、電車で帰ると言って起き上がったが、不安定のため、吉田主任の車で帰途に着く(日立家電の阿部某も同乗)。光は、店を出発して一?二分後気分が悪く吐き気があると訴えたので、鶴瀬病院へ寄った。
二一・二五
鶴瀬病院
光は、鶴瀬病院で診察を受けた。
マツモト電器店の吉田主任は、光に対し入院を勧めたが、光は、宿舎の富士館へ帰りたいと希望し、医師からも大丈夫との回答を得たので、車で富士館に向かった。
二二・〇〇ころ
首都高速道路
光は、高速道路を出た所で吐き気を訴えた。
二三・三〇
富士館
光は、富士館に到着。
光は、日立家電の阿部某に支えられて、富士館の二階へ上り、廊下で自分の部屋を探している所へ、 同僚が外出から帰り、部屋へ連れていって寝かせた。
昭和五五年
七月六日(木)
夜半
富士館
光は、便所を探してその場所が分からず、他の人の室を便所と間違え、そこで、小用を足そうとした。この時、光は、気分が悪く、吐き気を覚えた。
夜半
富士館
光は、数回吐き、このときに頭が割れるように痛く、頭が熱いことを訴えていた。
同宿舎は、光が頭痛、吐き気等を訴えその様子が異常なので、救急車を呼んだ方が良いのではないかと話し合った。
明け方
光は、スースーと寝息を高くたて、異常な休み方をしていた。
一一・一〇
光は、この頃まで、ひたすら眠り続けた後、意識不明で倒れた。
③ 出張前後の光の状況
光にとって、今回のマツモト電器店へのような出張や接客業務は初めての経験であり、光は、前記のように接客業に不向きな性格であったので、マツモト電器店への出張を命じられた時から、精神的に非常な不安に陥っていた。加えて、光は、責任感が強く仕事熱心であったので、不向きな仕事に対しても、一生懸命取り組もうとし、静岡製作所での一、二回の応援販売の研修ではなお足りず、妻を相手に接客販売の練習をするほどであった。
光は、マツモト電器店への出張後も、気を遣い、出勤前に、気が重いと漏らすこともあり、神経をすり減らし疲れていたのにもかかわらず、マツモト電器店へ往復する電車の中や宿舎帰館後にも、メーカーのカタログを見たり、各メーカーの機種の性能、専用回路、消費電力量等を手帳にメモをしたりして応援販売に備えていた。
(二) 光の脳出血の病理的な原因
(1) 光の脳出血の原因となっている傷病名は、動脈瘤の破裂によるものと考えるのが合理的である。
(2) 光の脳出血の原因となった血管病変としては、脳動脈瘤破裂、脳動静脈奇形、高血圧性脳内出血、その他突発性脳内出血が考えられる。
① 脳動脈瘤破裂
脳動脈瘤は、脳動脈分岐部に形成される瘤状部分の動脈壁で、中膜欠損があるため脆弱になり、突発的に破裂してクモ膜下出血などを起こすものである。その成因には、先天説及び後天説があるが、いずれにしても血行力学的因子の関与が考えられ、破裂にいたる原因になんらかの外的ストレス及び脳血管自身の加齢現象(動脈硬化)と血圧の関与があるとされている。好発年齢は、四〇から五〇歳台で、働き盛りの者が突発的に強い頭痛や嘔吐をきたした場合は、最初にまず脳動脈瘤の破裂を考える。脳動脈瘤が破裂した場合の症状は、通常はクモ膜下出血の徴候で、その病状は、出血の程度により決まり、非常に軽い場合は、経度の髄膜刺激症状として、頭痛、吐き気、嘔吐などをきたすのみで意識を失うことはなく、出血多量の場合は、意識障害をきたして死亡する。頭痛発作は、今までに経験したことがないほど強いもので、仕事を続行できないほど痛み、脳動脈瘤破裂の部位によっては、脳実質内に出血し、非常に大きな血腫を形成するものもある。
② 脳動静脈奇形
脳動静脈奇形は、脳内血腫をきたす疾患のひとつで、動静脈間が吻合した血管塊が脳実質内に向かって入りこんでいるものである。この奇形が破裂した場合の症状は、クモ膜下出血徴候、脳室内出血由来の髄膜刺激症状と脳実質内出血に伴う脳局所症状、けいれん発作などで前記脳動脈瘤破裂と類似している。ただし、脳動静脈奇形破裂に至るまでには、片頭痛様の頭痛発作を繰り返したり、片麻痺などをきたし、加齢による動脈硬化が加わった場合は、相対的に脳循環不全をきたし、精神症状、早発性痴呆などをきたすことがあるとされている。また、その発生頻度は、脳動脈瘤破裂に比較して約一〇分の一で、好発年齢も三〇歳台と若く、二〇から四〇歳台に発症するが、二〇歳台までの若年層では脳内血腫をきたす非外傷性脳内出血のほぼ半数を占めている。
③ 高血圧性脳内出血
高血圧性脳内出血は、高血圧症に動脈硬化が加わった状態を基礎疾患とし、好発年齢は五〇から六〇歳である。
(3) 光には、明確な高血圧症の既往がなく、好発年齢でもないので高血圧性脳内出血であった可能性は低い。
(4) 光の病状及び経過は、前記の脳動脈瘤破裂及び脳動静脈奇形の破裂徴候と近似し、脳圧亢進による髄膜刺激症状が進行し、次第に意識障害をともなっていったものと考える。入院時のCT所見では、右大脳脳実質内の巨大血腫、脳浮腫及びクモ膜下腔への出血が認められるが、脳室内出血は見られず、脳実質内の出血にもかかわらず、片麻痺や言語障害などの症状が認められないのは、その出血部位が脳幹部分にないことから理解できる。
また、光の脳内出血が、脳動脈瘤破裂及び脳動静脈奇形のいずれに起因するかについては、発症時の症状やCT所見のみからは直ちに断定できないが、発症年齢が四〇歳であり、動静脈奇形破裂より、脳動脈瘤破裂の好発年齢に近いこと、既往歴に脳動静脈奇形を疑わせる片頭痛様の頭痛発作などの既往がみられないこと、また、動静脈奇形破裂は静脈出血であるためその予後は通常死亡にいたらない場合が多いこと、光は、脳外科手術をおこなっており、もし動静脈奇形が存在した場合は、術中に確認されてカルテに記載されている可能性が大きく、逆に、脳動脈瘤では、存在が確認されない場合が多く、鎌野意見書にその記載がないことなどからみて、脳動脈瘤破裂であった可能性が大きく、脳動静脈奇形であった可能性は低い。
(三) 業務上の認定基準
(1) 現行労災補償制度は、憲法二五条及び憲法二七条を具体化するため設けられたものであり、その基本となるのが労働基準法(以下「労基法」という。)七五条ないし八八条及び労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)であるところ、これは、立場の相互互換性を前提とする損害賠償制度と異なり、立場の相互互換性がなく、加害者の保護の必要はないので、労働者の死亡が、業務上のものであると認定されるには、業務と死亡との間に相当因果関係があることは必要なく、業務と死亡との間に、合理的な関連性、即ち、当該業務に従事したために基礎疾患を悪化させ死亡に至ったことが推定されれば足りると解すべきである。
また、条文上も、損害賠償制度においては、「に因りて」(民法四一六条、七〇九条)と規定されているのに対し、災害補償制度においてはこのような文言が規定上使用されていないから、業務と死亡との間に相当因果関係があることが必要であるとする見解はとりえない。
(2) そして、労働者が脳卒中で死亡した場合、業務と死亡との間に合理的関連性があるというためには、次の三要件、即ち、①脳卒中等の疾病が発生したこと、②当該疾病に悪影響を与える業務に従事していた労働者であること(質的にまたは量的に過激な業務に従事している必要はまったくない。または、それが発病直前にある必要性もまったくない。)、③当該業務への従事と当該疾病(基礎疾病を含む。)の発症、増悪、軽快、再発などの推移の関連性が推定されること(右関連性が医学的に明確に証明される必要はまったくなく、また、業務への従事と疾病発生までの時間的間隔につき、医学的証明を必要としない。)、が満たされれば足りるというべきである。
(3) 仮に、発症に至る経過において業務起因性が認められない場合であっても、発症の経過において、業務が要因となって、発症した疾病の治療の機会が奪われるなど、通常業務がなかったならばたどるであろう経過を超えて症状が増悪し、死亡したようなときには、その症状の増悪、死亡には、業務起因性が認められ、業務上と判断されるべきである。
(四) 光の脳出血による死亡の業務起因性
(1) 光の脳出血の業務起因性
① 人体は、外界からの物理的または精神的刺激ないし負荷である外的ストレスに対し、中すい神経系、内分泌系へ作用する反応を起こし、これをストレス反応というが、光の脳出血の原因は、前記のとおり脳動脈瘤破裂というべきところ、脳動脈瘤の破裂に関しては、血行力学的因子が関与するものであるが、この因子としては、脳血管の加齢による動脈硬化と並んで、外的ストレス及び血圧が関与すると考えられる。
即ち、まず、外的ストレスが原因で、血圧が一過性または持続的な上昇を起こすことによって、血管内圧が血管壁の最も脆弱な動脈瘤のある部分に影響し、血管壁がその圧力に抗し得ない状態に至った場合、動脈瘤の破裂に至るが、この外的ストレスによる血圧の変動は、高血圧者ほど大きく、境界域血圧者でも、正常血圧者より大きい傾向があるが、正常血圧者においても、急性の短期間の血圧上昇により脳血流が一過的に増大し、血管破裂に結びつく可能性はある。
また、外的ストレスが原因で心拍数が増加することによって、血管の収縮、拡張の運動が増大することも、血管壁への負荷増大に寄与することが考えうる。
さらに、外的ストレスによって分泌される物質中には、アドレナリン、アンジオテンシン、アセチルコリン、グリコゲン、ブラジキニン、セロトニン、ヒスタミン等の動脈硬化など血管の脆弱化、損傷に寄与する物質が含まれるのであるから、これらの分泌によって脳動脈瘤破裂等の血管破壊の危険は増大する。
したがって、外的ストレスによって脳動脈瘤破裂が起こることも充分ありうることである。
② 人の従事する業務によってもたらされる要因が外的ストレスとなる場合が多く、業務上の外的ストレスが過重負荷となり、これに対するストレス反応によって疾病が発生した場合には、その疾病には業務起因性を認めなければならない。
なお、外的ストレスに対するストレス反応の有無・程度は、受ける側が外的ストレスをどのようなものと認識するか、受ける側の外的ストレスに対処する能力はどの程度か等受ける側個人によって異なるものであるから、業務による外的ストレスが過重であるか否かを判定するためには、客観的な業務内容のみならず、当該個人の資質も考慮し、その者によって過重であったかどうかが判定されなければならない。
③ このような観点から見ると、光にとっては、以下のとおり、出張中の業務は、過重なものであったというべきである。
(ア) 身体的負荷
身体的には、出張中は、出張前に比べ、通勤時間、労働時間のいずれも増え、しかも、労働中は長時間立ちっぱなしの仕事であったから、身体的負荷は急増した。
出張前は、午前七時三〇分ころ自宅を出て、午後六時ころには帰宅していたが、出張中は、午前八時ころ宿舎を出発し、午後九時三〇分ころ宿舎へ戻っていた。
通勤時間は、出張前は自家用車で三〇ないし三五分位であったのに対し、出張中は、徒歩、地下鉄、電車を利用して約一時間二〇分を要している。これに首都圏の通勤ラッシュが加わっていたのであるから、首都圏の通勤ラッシュの経験のなかった光にとって、この、ラッシュの中を含む一時間二〇分の通勤は、肉体的な面だけをとっても極めて大きな負担となっていたと考えられる。
(イ) 精神的負荷
また、出張中の勤務での精神的ストレスは光の性格からして、極めて著しいものであった。
出張前の業務は、機械的な単純作業であったのに対して、出張中の業務は、客を相手とする接客業務であり、商品についての知識、言葉遣いや的確な受け答えなど客と応対する技術、能力を要求される全く異質な業務であった。
光は、性格的に無口でおとなしく、几帳面で責任感の強い、仕事熱心なタイプであったから、経験がないのみならず、出張前の業務と全く異なる販売業務は、光には不向きでもあった。
こうした販売業務から生じた、過去に経験したことのない種々の精神的ストレス、即ち、(A)業務を遂行する上での自己の役割に関わるストレス、(B)キャリア不足からくるストレス、(C)職場での人間関係に関するストレス、(D)それらをサポートする体制の欠如からくるストレスなどは、以下のとおり著しいものであった。
(A) 組織の役割に関するストレスとしては、①職務の役割自体の曖昧さ、②職務内容についての葛藤、③スタッフへの責任、④職務責任境界の不明確さなどによる葛藤などがストレス源として挙げられるところ、光がマツモト電器店に派遣された当初の状況は、これら全ての項目について強いストレス源となっていたと考えられる。
即ち、光が与えられた仕事目的は、量販店における販売業務であり、自社製品の売上をできる限り拡大することが自明であったはずで、光は、この目的を遂行する上で全く経験を欠いていた。そして、十分な知識もないままに、営業店内で自己が果たすべき役割や責任が果たせないまま数日を過ごしていた事実は、必然的にスタッフへの気遣いを生み出し、与えられた役割に対する葛藤や曖昧さ、責任の不明確さなどの強い精神的ストレスを生じさせたと考えられる。
光は、几帳面で責任感の強い、仕事熱心なタイプであったから、新しい環境へ適応して自己の責任を果たさなければならないという責任感、精神的重圧感を強く抱く性格であって、業務を遂行する上での自己の役割に関わるストレスは重大であった。
(B) キャリアに関するストレスとして、①過大な期待、②見下し、過小なキャリア、③仕事の保証欠如、④くじかれた願望、などが挙げられるところ、光の場合、営業販売の面では期待されたキャリア以下の能力しかなかったから、キャリア不足からくるストレスは、極めて重大なものであった。
光は、内向的な性格であって、接客業務は苦手・不向きであったため、出張前、妻の敏恵を相手にお客さんとのやりとりの練習をしたりしたというのであり、このことは、光の責任感の強さとともに、キャリア不足からくる精神的ストレスが出張の開始前から極めて強かったことをも表わしていると考えられる。
光は、出張前に、自社製品についてのみ、簡単な販売教育は受けたものの、販売応援の仕事は、それ自体もともと難しいものであり、簡単な教育を受けたからといって直ちに仕事ができるものではない。しかも、派遣先では、他社の製品も販売しなければならなかったので、接客、販売のためには、他社製品も含めて相当量の商品知識を要求された。
光は、このような知識がなかったから、知識面でのキャリア不足からのストレスも大きく、そのことは光が出張中も自ら商品についての勉強をしていたことにも表われている。
(C) 職場での人間関係に関するストレスとして、①上司、同僚、部下との人間関係、②委託された責任を遂行する上での困難、などが挙げられる。
光は、内向的で、見知らぬ人々の中で業務を遂行する上で、なかなか職場の他の人々と打ち解けることもできず、緊張の連続であった。
そのうえ、キャリアの不足も関わって、委託された責任を遂行する上での困難に基づく職場での人間関係に関するストレスがあった。
さらには、宿舎に帰還後の同宿者も初対面の人々ばかりであったから、ここですらも、十分にはくつろげずに精神的緊張もとれなかったし、職場での人間関係に関するストレスは著しいものであったと考えられる。
(D) 組織構造とその風土からくるストレス源として、①意思決定への参加の無さ、②行動の制約、③労務政策、④効果的な相談体制の欠如などストレスを生み出す組織機構及び問題が生じた場合のサポート体制などが挙げられる。
このうち、④については、派遣先のマツモト電器店で生じた様々な悩みや困難を相談するサポート体制が全く欠如していたことが、光が受けたストレスをさらに拡大する要因になったと考えられる。
さらに、①として、販売応援への参加が決定されていく過程で光自身が断りにくい状況があったこと、また、参加する出張での仕事内容について、光の関知しないところで据付業務から販売応援業務への変更が決定されていた状況が、ストレス源になっていた。
(E) これらに加えて、慣れない地でのラッシュの中を含む一時間二〇分の電車通勤、一時間四五分もの拘束時間の増加、しかもその間慣れない長時間立ちっぱなしの仕事は、生活環境の激変と不便さから来る精神的負担などとも相俟って精神的な面でも外的ストレスとして重なって光に加わっていた。
④ 以上の事実からすると、光の先天的要因・素因によって形成された動脈瘤が、過重な業務に従事したことによって、破裂したものというべく、光については、先天的要因に業務上のストレスが付加されて脳動脈瘤破裂の結果が生じたものである以上、業務上のストレスは、脳動脈瘤破裂による脳出血に合理的関連性を有しているから、光の脳出血による死亡は、業務上のものであるというべきである。
また、仮に、業務上の判断において、相当因果関係説をとったとしても、先天的要因に業務上のストレスが共働原因となって脳動脈瘤破裂の結果が生じたものである以上、業務と脳出血には相当因果関係があるものと解すべきであるから、光の脳出血による死亡は、業務上のものというべきである。
(2) 脳出血発症後の症状増悪についての業務起因性
① 光は、昭和五五年七月五日午後四時ごろ、頭痛、吐き気などを訴えたが、勤務時間中であったがために直ちに医師に受診することができず、発症五時間後、勤務を終了して旅館へ帰る途中、鶴瀬病院で診察を一度受けたのみで、午後一一時三〇分ないし一二時ころ、富士館に帰還し、以後さらに引き続き嘔吐や、激しい頭痛の愁訴、失見当識の発言などの症状の進行、増悪が明らかに認められる状態にあったにもかかわらず、井口など個人的に介抱してくれる者があったほかは、全く看病、病状の監視などの体制が採られることなく、緊急に医師の診察を受ける機会を奪われたまま六日午前一一時二〇分ころまで放置されている(この間、販売応援業務従事者の管理責任者であった登崎庄司郎は午前一〇時三〇分ころ静岡へ帰還してしまっている。)。
このような経過の下で、光は、発症から約二〇時間もの時間を経過した後にようやく入院し、初めて適切な医療の機会を与えられ、巨大血腫を発見されて手術を受けたものの死亡に至っている。
② 脳動脈瘤破裂が発症した場合、死亡の転帰をたどる率は高いが、その重症度は、主として意識障害のレベルによって決まり、手術はできる限り早期に行う方が救命率は高い。
光の場合、発症後初期の意識障害のレベルは、比較的、重度ではなく、緩慢な進行だったとみられるから、旅館帰着後、深夜に嘔吐を繰り返し、激しい頭痛を訴えた際に、これに適切に対応して、受診をさせて、専門医による診断を受けていれば、より早期に手術がなされることによって一命を取り止めた可能性が大きい。
また、光の場合、発症後、日常共に生活している妻などの家族と共にいたのであれば、発症後早い時期に、遅くとも嘔吐を繰り返し、激しい頭痛を訴えるなどした時に、日常と大きく異なる光の状況から異変を察して専門医の診断を受けさせ、より早期の対処がなされることが十分に期待できたと考えられる。
ところが、光は、出張中であり、出張中の従業員に対する勤務先のサポート体制は、健康管理を含め、極めて不備なものであったから、発症後も十分な看病、病状の監視などの体制が採られず、一時的に個人的な行為による看病がなされたほか、放置された(販売応援業務従事者の管理責任者であった登崎庄司郎が静岡へ帰ってしまっていることがそれをよく物語っている。)ことにより、迅速に診断、治療を受ける機会が奪われたものというべきである。
したがって、出張中という業務の特殊な状況が要因となって、病状の増悪、死亡を招いたものであり、光が発症した後、死亡に至ったことについては、業務起因性があると考えるべきである。
5 よって、原告は、被告に対し、本件処分の取消を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実は認める。
3 同3の事実は認める。
4(一)(1) 同4(一)(1)①のうち、敏恵が光の妻であること、原告が光と敏恵との間の長男であることは認める。同②の事実は認める。同③のうち、その前段の事実及び光に十二指腸潰瘍の既往があったが一時的には痛みが止まっていたことは認め、その余は争う。同④は争う。
(2) 請求原因4(一)(2)①の事実は認める。同②のうち、光が一日中、立ちっぱなしのままで仕事をしていたことは否認し、その余の事実は認める。同③は争う。
(3) 請求原因4(一)(3)のうち、昭和五五年七月五日の経過については認め、七月六日の経過については否認する。
(二) 同4(二)は争う。
(三) 同4(三)は争う。
(四) 同4(四)は争う。
5 同5は争う。
三 被告の主張
1 光の脳出血の業務起因性
(一) 光の脳出血という疾病が本件業務上の疾病というためには、右業務と当該疾病の間に相当因果関係が必要であるところ、右因果関係があるというためには、他に競合する原因があっても、右業務が、相対的に有力な原因であれば足りるが、単なる条件、即ち、その引き金になったにすぎない場合には、両者の間の相当因果関係が否定されると解すべきである。そして、光の死因である脳出血は、非職業的な要因によっても発症するものであるから、それが、本件業務上の疾病と認められるためには、右業務の遂行中に発生したというだけでは足りず、その業務起因性が明らかであること、即ち、右業務による重激なる身体的、精神的負担または突発的な出来事を原因として脳出血を発症し、もしくは高血圧症などの基礎疾患を増悪させ、脳出血を発症したと認められる場合でなければならない。
そして、その判断基準としては、右業務が、脳出血を発生させる具体的危険を有するものである必要があるというべきである。
(二) ところで、労災保険法一条にいう「業務上の事由」は、労基法七五条に規定する災害補償の要件である「業務上」と同一の趣旨と解されるところ、労基法は、「業務上の疾病」の範囲を命令で定めることとし(七五条二項)、これを受けて同法施行規則三五条によって、疾病を具体的に列挙する他に、業務に起因することが明らかな疾病を業務上の疾病としているが、これは、具体的に列挙されていない疾病については、業務との関連性の立証があった場合に始めて業務上と認定できる趣旨である。
そして、その具体的判断基準については、通達(昭和六二年一〇月二六日付基発第六二〇号「脳疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」によって定められており、それによると、次の(1)、(2)の要件を満たす必要がある。
(1) 次に掲げる①または②の業務による明らかな過重負担を発症前に受けたことが認められること、
① 発症状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したこと、
② 日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと、
(2) 過重負担を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであること、
そして、右認定基準は、前記(二)の判断の基準となるものであるので、これによって、業務上であるか否かを判断すべきである。
(三) これを光についてみるに、光が出張前に従事していた業務及び出張中の業務は、いずれも精神的にも身体的にも比較的軽易な作業であったといえ、出張前後の業務の変化についても、作業形態と環境の変化により若干の心労が生じた可能性がないとはいえないが、これをもって、脳出血を惹起させる程度の質的、量的に著しく強度の精神的緊張あるいは肉体的に過激な業務負担があったとはいえない。
原告は、特に、出張中の業務内容について、身体的及び精神的に過重なものであって、光に過重なストレスを与えたと主張するが、出張中の業務については、事前に研修等の指導を受けており、マツモト電器店では、店長の指導の下に一階の一般家庭用電機製品売場において、展示品の清掃、商品の整理、通路の整理及び電話の応対等主として補助的な業務に従事していたものであるから、身体的に過重な業務とはいえないし、精神的ストレスに関しては、未だ定説がないのであるから、原告の主張には、医学的な根拠はない。
2 脳出血の医学的原因
ところで、脳出血は、脳動脈瘤破裂、高血圧等の他、脳内の小さな血管の奇形によっても発症するものであるが、脳動脈瘤破裂も高血圧もそれによる内出血には急激な病変が伴うこと、脳動脈瘤破裂の好発部位は決まっていること、光については、脳動脈瘤の好発部位ではない白質内で出血していること、光の発症が緩慢であったこと及び高血圧の既往症がなかったことを勘案すると、その脳出血の原因は、隠れた脳動静脈奇形の破裂によるものと推認すべきである。そして、隠れた脳動静脈奇形の破裂による出血は、日常どのような場合にもおこりうるものであるから、光の脳出血は、本件業務との因果関係がなく、業務上のものとはいえない。
3 発症後の症状増悪
光は、七月五日午後四時ごろ、気分が悪くなってマツモト電器店二階の店長室のソファーで寝ていたが、夕方、吉田主任が「早く上りますか」と声をかけたところ、光は、「今は気分が悪いのでもう少し寝ている」旨返事をしたので、そのまま寝かせ、午後七時ころ、吉田主任は、自動車で光を富士館へ送るその途中、鶴瀬病院において光に診察治療を受けさせその際光に入院をすすめたが、光が旅館に帰ってゆっくり休みたいと希望し、同病院医師も大丈夫だろうといったので、光を富士館へ送ったが、この間光は、足取りは不安定ながらも言葉は明確であったので、光には特に異常はなく、大丈夫と思っていた。
そして、富士館に戻った後は、同部屋の井口らが光を介抱し、光は、意識ははっきりしていて「寝ていれば治るよ」といっており、翌六日朝、よく眠っている状態であったので、ヘルパー管理責任者として各店舗を巡回していた登崎庄司郎(以下「登崎」という。)は、鶴瀬病院へ電話で問い合わせをしたところ、同病院からは「心配ない」との回答を得ていた。
したがって、これらの事情を考慮すれば、右吉田主任らは、光に医師の診察を受けさせ医師の判断も聴いた上、当時は意識のはっきりしていた光本人の意向や情況に従って対処していたのであるから、これらの措置が不適切であったということはできず、ましてや、本件業務が光の症状を増悪させたものということもできない。
四 被告の主張に対する認否・反論
1(一) 被告の主張1(一)は争う。
(二) 同(二)のうち、被告の主張する通達があることは認め、その余は争う。
右通達は、行政庁内部の単なる指針であって、それが法規となるわけではないから、理論上裁判所を拘束しないし、また、右通達は、内容的にも、次のとおり、脳出血の業務認定基準として不合理なものである。即ち、
(1) 日常業務と比較して過重な業務があった場合に限定している点は、医学上、日常の業務が余りに過重であって、それが、脳出血の原因となりうる場合もあるのであるから、不合理である。
(2) また、過重負荷労働の判断の対象の期間が一週間に限定されている点も、医学的には、継続的な過重負担が脳出血の原因となるうる場合もあるのであるから、不合理である。
(3) その上、判例上確定している共働原因説を廃している点も不合理である。
(4) また、因果関係が医学的に証明されることを要するとしているが、仮に、因果関係が必要と解したとしても、業務上認定は、人体の疾病の発症等の機序を医学的に解明する医学的判定を目的とするものではなく、被災者に労災補償制度を適用するか否かを決定することを目的とする法的判断であるから、法的証明で足りると解すべきである。
2 被告の主張2のうち、光の脳内出血部位が脳白質内であったことは認め、その余の事実は否認し、その主張は争う。
動脈瘤破裂は、典型的なものは、被告の主張するとおり、急性であって、好発部位も白質内であるが、脳動脈瘤破裂にも種々の形態があり、発症後の経過が比較的進行性のものや白質内で出血するものもあるのであるから、光の発症の経過及び白質内の出血が脳動脈瘤破裂と矛盾するものではない。かえって、隠れた脳動静脈奇形は、予後がよく、発症後の経過は緩慢であるところ、光については、発症後の経過も、比較的進行性であるといっても、発症後二四時間以内に脳内に巨大な血腫が発見され手術を受けたものの、死亡したものであって、むしろ、経過は緩慢とはいえず、予後も最悪であるから、隠れた脳動静脈奇形であったとするには、多大の疑問がある。
また、仮に、光の脳出血の原因が隠れた脳内出血であったとしても、その機序には、血行力学的因子が作用することは脳動脈瘤と異ならないものであるから、脳血管の加齢による動脈効果と並んで外的ストレスが関与し、脳出血の原因となりえることも、脳動脈瘤と同様であるから、この場合にも、脳出血は、業務上のものといえるものである。
3 被告の主張3は否認ないし争う。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1、2、3の事実は、いずれも当事者間において争いがないので、以下、光の脳出血による死亡が、本件業務上の事由によるものであるか否かについて判断する。
二光の死亡に至る経緯
1 光の家族構成・職歴
請求原因4(一)(1)①のうち、敏恵が光の妻であること、原告が光と敏恵との間の長男であることは当事者間に争いがなく、その余の事実については被告において明らかに争わないので、これを自白したものとみなすべく、同②の事実は当事者間に争いがない。
2 光の既往症及び出張当時の健康状態
請求原因4(一)(1)③のうち、前段の事実及び光に十二指腸潰瘍の既往があったが一時的には痛みが止まっていたことについては当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<書証番号略>を総合すると、光は、昭和五〇年及び同五二年当時、眩暈の自訴があり、同五〇年及び同五三年の拡張期血圧がそれぞれ九六、九〇と高値を示していたこと、光は、静岡製作所における定期健康診断で十二指腸潰瘍の症状があることを指摘され、投薬治療を受けた結果、昭和五五年初めには、痛みがなくなる程に回復していたが、マツモト電器店への出張に際しては、痛みが再発するかもしれないと考えて、出張期間である三〇日分の投薬を用意していったこと、しかし、光には、それ以外に特に既往症はなく、昭和五四年一〇月の健康診断の結果ではまったく異常はなかったこと、なお、応援販売のためマツモト電器店へ出張する直前には静岡製作所において特に健康診断を実施しなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。
3 光の性格
<書証番号略>によると、光は、几帳面で責任感が強く、仕事熱心で、勤務先における勤務評定も高かったが、性格が温和で無口でおとなしく、神経質な面もあり、勤務先の旅行などの際にはつき合い程度に酒を飲むこともあるが、友人と酒を飲んで家族のことを話しするなどして明るくすごすこともなく、内向的であったことが認められ、右認定に反する証拠はない。
4 光の出張に至る経緯及び出張中の業務内容
<書証番号略>、証人中村芳文の証言を総合すると、以下の事実を認めることができ、右認定に反する証人中村芳文の証言部分は、採用することができない。
(一) 静岡製作所では、約二〇年位前から販売店に対する応援業務を行っており、その業務は、工場で生産される商品の供給調整、販売の促進及び従業員の教育のために行われていたものであるが、その計画人選については、営業部業務課が主体となって行い、具体的な人選は、職場長が行っていた。静岡製作所では、このような応援業務は、その職種、年齢等のいかんにかかわらず、従業員なら誰でもできると考えていたので、通常な健康状態の人について遍くその対象としていたが、この応援業務を断った場合のペナルティは定まっていなかったとはいうものの、このような応援業務を嫌う従業員が多かったため、事実上、順番に派遣されることになっており、本人や家族の健康状態が悪い等の具体的事情がないのに断った場合は、今後の査定に響くこともあるし、他の従業員の反感を買うことにもなるから、実際上応援業務を断るということは難かしい状況であった。応援業務の内容としては、販売応援業務とエアコンの据付業務があり、主に四月から七月にかけて、最長二か月、最短で二日位、年間数十名から数百名が東京都周辺・大阪や名古屋地域の各販売店に派遣されていた。そして、派遣された従業員は、出張中は、勤務先が指定した宿舎に泊り、そこから指定された販売店に通うこととなっていたが、出張中の従業員の健康管理については、販売店、宿舎、静岡製作所の間で明確な取り決めや委託はなく、勤務先から、責任者が派遣されることもなく、従業員の自己責任に任されていた。
(二) 光は、昭和五五年春ころ、班長からエアコンの据付作業のため販売店へ出張するよう指示を受けたが、出張もやむをえないと判断したものの、六月には弓道の試合があって出場するので七月なら出張してもよい旨返答したところ、上司もこれを了解し、昭和五五年七月一日から一か月間、マツモト電器店へ出張して応援業務に従事することになった。ところが、出張の一、二週間前に、勤務先の都合で、応援業務の内容が据付業務から、店頭販売業務に変更になったため、光としては、少なからず困惑した。同年六月二四、二五日ころ、一日かけて、応援業務へ行く従業員に対して、静岡製作所において、販売業務の研修が行われ、光もこれに出席した。
5 光の出張前の業務内容と出張中の業務内容との比較
請求原因4(一)(2)①、②の事実は、光が一日中立ちっぱなしのままで仕事をしていたことを除き、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<書証番号略>を総合すると、以下の事実が認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) マツモト電器店は、いわゆる一般家庭用電器製品量販店であったところ、光の出張中の業務は、主に、店内で販売業務に携わる予定であったが、出張当初は、仕事に慣れていないため、店内の展示品の清掃、商品整理、通路の整理及び店員の販売業務の手伝いが主な仕事であって、ほとんど一日中店内で立ったままの状態で仕事をし、慣れるまでの間は、足がパンパンに張る状態となった。
(二) 光の出張販売中の勤務状況・他社の応援者の状況・その近辺の市場・販売台数については、勤務先に対し、出張中、毎週月曜日に、週間報告書を提出することが義務付けられていたにすぎず、特に、販売のノルマはなかったが、光としては、努めて、三菱電機株式会社の製品を販売するように努力するとともに、出張先の指示により他社製品の販売をも担当することが必要であったため、他社製品の性能、機種などの知識も得るよう努力していた。
(三) 光の出張前の具体的業務内容と出張中の業務内容との具体的な比較は、それぞれ、原告の主張の請求原因4(一)(2)①、②のとおりである。
6 光の出張前後及び出張中の生活状況
<書証番号略>、証人井口静雄の証言によると、以下の事実を認めることができる。
(一) 光は、出張前はユニットの工程係に在籍し、朝七時三〇分ころ自家用車を運転して出勤し、夕刻七時ころ帰宅するのが通常であって、特に、仕事量が増えて、残業するということはなかったが、一か月間出張するため、その間の仕事の段取りを予定しておかなくてはならず、通常より多少忙しかった。
また、光は、入社後一度も経験のない販売の仕事のため初めて東京方面に出張することになったため、そのことを特に気にし、出張直前には、妻の敏恵を相手に、客との応待についての練習をしたりしていたし、前記の販売業務の研修の際にも、熱心に参加していた。
(二) 光が出張中に宿泊する宿舎は、静岡製作所が契約した民間の旅館であるが、井口及び豊田義雄との相部屋であって、静岡製作所の責任者は常駐しておらず、朝食は旅館で用意されるが、光の帰宅が夕食の時間より遅かったので、光は夜は外食することを余儀なくされ、僅か一〇〇〇円足らずの簡単な食事で済ませていた。
(三) 光は、マツモト電器店での仕事中、店員や顧客に対し極力丁寧にするなどして気を使い、早く仕事に馴れようとしてこまめに身を動かしていたが、光の顔色があまり良くなく、疲れて、覇気のない様子であった。
また、宿舎の富士館においても、同室の井口らに、「販売業務は初めてだから気をつかう。」と述べたり、販売の際の商品についての説明をどうしたらよいのかとか、客に対してうまく接するにはどうしたらよいのかなど尋ねたりして、必要以上に、販売応援業務のことに気を使っている様子であった。
(四) さらに、光は、マツモト電器店への通勤中や宿舎等では、暇を見つけては、販売のための知識を得るため、各メーカーの機種の名称、規格、性能、専用回路、消費電力等が書かれているパンフレットを読んでこれを丹念に手帳にメモするなどしていた。
その上、光は、東京のような大都会での生活、勤務などの経験が全くないため東京近辺の地理にも疎く、電車での通勤も初めてであるため、昭和五五年七月二日の帰宅時には、電車を乗り間違えて逆の方面に行ってしまったりもして苦労していたし、宿舎でも、同室の同僚のいびきなどが気になって十分安眠できないということもあった。
7 光の脳出血の発症、死亡の経緯及び死亡の所見
(一) 請求原因4(一)(3)のうち、昭和五五年七月五日の経緯については当事者間に争いがない。
(二) そして、右争いのない事実に<書証番号略>を総合すると、以下の事実を認めることができる。
年月日
時刻
場所
光の発症の経緯
昭和五五年
七月五日
一六・〇〇
マツモト電器店
エアコン売場で光の様子がおかしいので確かめると、光は頭痛がし、気分が悪いと訴えたので、 店の者が光に対して二階で休むよう声を掛けた。
一七・〇〇
同右
店長室で、光が椅子に座ったまま頭を押さえているので店長が声を掛け、光を応接椅子に座らせた。
一九・〇〇
同右
応接椅子で横になっている光に、吉田主任が「帰りませんか」と起こし、声を掛けると、光の足取りが不安定であり、 光からもう少し寝ていたいとの返事もあったので、後刻店の方で富士館まで送ることとし、そのまま、光を休ませた。
二一・〇〇
同右
光は、電車で帰ると起き上がったが、不安定な様子であったので吉田主任の車で帰途に着いた(日立家電の阿部某も同乗)。 光は、店を出発して一、二分で、気分が悪く、吐き気があると訴えたので、途中鶴瀬病院にいくことを決めた。
二一・二五
鶴瀬病院
光は、疲労による貧血という診断を受け、ブドウ糖液の注射及び胃薬の投薬を受けた。 吉田主任は、光に対して入院を勧めたが、光は、富士館へ帰りたいと希望し、医師からも大丈夫であると回答があり、光の足元はふらついていたものの、言葉は明瞭であったので、車で富士館へ向かった。
二二・〇〇
首都高速他
光は、高速を降りたところで、吐き気を訴えた。
二二・三〇
富士館
光は、富士館に到着し、阿部某に支えられ、二階に上がり、廊下で自分の部屋を探していたところ、井口が外出から帰ってきたので、 井口が、光を部屋へ連れていって寝かせた。この時、光の意識ははっきりしており、「寝ていればなおる。」と言っていた。
同月六日
二・〇〇
富士館
光は、小用のため起き、便所を探して廊下を歩いていたが、 間違って他人の部屋へ入った。光は、気分が悪く、吐き気がするというので、たまたま、同宿であった販売促進担当の登崎が光を便所へ連れていくと、 光は、二、三回吐き、部屋に戻ってからも、洗面器に二、三回吐いたが、この時は、吐くものもなくなって、胃液らしきものを吐いていた。
二・〇〇から二時間位
同右
光は、頭痛を訴えるので、同室の井口がタオルを水に浸して冷やした。
光は、眠りにつくが、すうすうとおかしな寝息をたてていた。
九・〇〇
同右
井口は、光が眠っていることを確認したが、光の様子がおかしいので、登崎によろしく頼むと告げ、出社した。
一〇・〇〇
同右
登崎は、光が眠っていることを確認した後、鶴瀬病院に電話し、病状を確認すると「疲労によるもので心配ない。」との返答を受けたので、やや安心し、そのまま、光を寝かせておいた。
一一・一〇
同右
富士館の従業員らが二階に上がってみると、光が窓外のトタン屋根の上に倒れていたので、光を布団に寝かせたが、しばらくすると、 光の部屋でどすんと音がしたので、従業員ら及び同宿の藤谷明彦が二階に上がってみると、光が、よろよろしていたので、光にトイレに行くか尋ねると、ウンウンと答えた。 そこで、右の二人は、光をかかえて、トイレに連れていき、ズボンのチャックをはずしてやり、用を足させた。 しかし、このような光の状態は異常であり、緊急に医師の診断・治療が必要であると感じたので、従業員等は、救急車を手配した。
一一・二〇
救急車
光は、救急車に乗り、帝京大学病院に向った。
一一・五〇
帝京大学病院
光は、緊急入院したが、初診時は、昏睡状態、瞳孔不同であり、直ちに脳検査が開始された。レントゲンの結果、 白質内右側頭葉内に四センチメートルの巨大な血腫があり、右前脳より左前脳を圧迫していた。なお、外傷はなかった。
一六・五三から一八・四〇
同右
鎌野秀嗣医師は、光の開頭手術に着手し、血腫の除去及び頭蓋内血圧を減圧すべく試みたが、硬膜の緊張が高く、頭蓋内血圧を減らすことはできなかった。 その後、硬膜切開を行い、脳室鏡を挿入したところ、大量の血塊が噴出したが、その血塊の重さは二五グラムもあった。
さらに、十字砲火形の硬膜切開を行い、血腫腔を注意深く観察し、小血管は双極凝固装置で凝固したが、血腫腔内には、動静脈奇形のような異常血管は認められなかった。
同月九日
一六・〇〇
帝京大学病院
それまで、光の様態に特段の変化なく、良好との報告があったが、この時、医師より容態の悪化が報告された。 医師の報告内容は、「血圧八八、尿が止まらず、薬液が出てしまう。他の方法を考える。」ということであり、「家族を呼ぶように。」指示された。
二一・一〇
同右
光の血圧が八〇に低下し、尿が止まらない状態になった。
同月十日
一〇・〇〇
帝京大学病院
医師らは、関係者に対し、十分手を尽くしたが、光の様態が急変し、死亡は時間の問題である旨説明した。
一五・〇〇
同右
光の血圧が四〇に低下した。
二〇・四一
同右
死亡
(三) <書証番号略>によると、光の死亡は、脳出血によるものと認めることができる。
三脳出血の病理的な機序と光の脳出血の原因
1 <書証番号略>、鑑定人上畑鉄之丞の鑑定の結果、証人中島正二の証言及び弁論の全趣旨によると、以下の事実を認めることができる。
(一) 脳出血の原因としては、医学上、①高血圧、②脳動静脈血管奇形、③脳動脈瘤破裂、④その他が挙げられているが、このうち、①高血圧については、一般に、高血圧の既往症がある者について発症するものであり、好発部位としては、四、五か所であるが、好発年齢は、五〇歳以降であって、脳実質内に出血することが多い。
(二) また、②脳動静脈血管奇形とは、通常動脈と静脈との間にある毛細血管が先天的に形成されず動脈と静脈間が直接吻合された状態を言い、脳動静脈血管奇形が破裂すると脳出血が発症するが、脳動脈瘤の約六分の一から一〇分の一の発生頻度で、好発年齢は二〇歳ないし四〇歳であり、この出血による死亡率は、初回出血で一〇パーセントと比較的低く、予後は脳動脈瘤破裂より良好である。なお、脳動静脈血管奇形であれば、開頭手術の際、発見されることが通常である。
(三) ③脳動脈瘤破裂は、脳内の動脈中の中膜の欠損部が、成長するに従って、弾性が減少するとともに、血圧や血流の影響を受けて隆起した瘤が破裂するものであって、好発年齢は、四〇歳から五〇歳である。これは、脳内の動脈輪の前半部において多発し、突然襲ってくる経験したことのない頭痛が伴うのが通常であって、吐き気、嘔吐を伴い、発症後、意識障害の症状が発生し、予後が悪い症例も悪くない症例もある。脳動脈瘤が破裂すると、通常くも膜下出血をきたすが、それと伴にないし単独で頭蓋内出血を伴う場合も五ないし二五パーセントあり、その約半数に脳室内出血を合併し、発症後の症状の進行が比較的緩慢である。また、脳動脈瘤の破裂には、突然発症するものばかりでなく、警告発作という出血の何日か前から頭痛を主とした前駆症状がある場合もある。
(四) ④その他のうちには、隠れた脳動脈等の奇形があるが、これは、直径が一センチメートル以下で白質内にある動静脈奇形等の血管奇形が、破裂するものであって、脳動静脈奇形と異なり、奇形が小さいため、破綻後、開頭手術をしても、破綻によって消滅してしまい、その痕跡はみつからない場合が多い。その発症頻度は、脳動脈瘤破裂に比すと少なく、好発年齢は、四〇歳以下であって、好発部位は、白質内である。この出血は、脳動脈瘤破裂に比して静脈性のものであるため緩やかで、発症の経緯も緩慢であって、頭痛・嘔吐などで発症し、除々に片麻痺、失語症等が出現し、意識障害が発生するまで、数日を要する例もあり、急性の発症の場合も意識障害を来たすまで数時間を要し、予後は良好であるのが通常である。
2 前段認定の事実、前記認定の光の健康状態並びに発症の経緯及び死亡の所見に、<書証番号略>、鑑定人上畑鉄之丞の鑑定の結果、証人中島正二の証言を総合すると、以下のように認定、判断することができ、この認定、判断に反する<書証番号略>の記載部分、証人中島正二の証言部分並びに鑑定人上畑鉄之丞の鑑定の結果の一部は、いずれも採用することができない。
(一) 光の死亡の原因は、脳出血であるところ、まず、①高血圧については、光の年齢と好発年齢の差、光にはっきりした高血圧の既往症がないことから、これによって発症したとみられる可能性が低い。次に、②脳動静脈奇形については、発症の経緯、好発年齢等は近似するものの、光の開頭手術の際に、脳動静脈奇形の痕跡は認められなかったこと前認定のとおりであるので、これによって発症したとみられる可能性も低い。
(二) これに対し、③脳動脈瘤破裂については、好発年齢、予後の悪さの点は近似するものの、光の発症の経緯については、必ずしも典型的な脳動脈瘤破裂とは一致しないが、比較的軽い動脈瘤破裂とすれば、類似しているとみることもできる。他方、光の出血部位は、皮質下白質内の右側頭葉後頭葉内であって、脳動脈瘤破裂の好発部位ではなく、稀にしか発生しない部位である他、発症の経過の中で、光から脳動脈瘤破裂において特徴的とされる激痛の訴えはなかったから、脳動脈瘤破裂の可能性も高くはない。
(三) また、④その他のうち、隠れた脳動静脈等の奇形についてみれば、好発年齢、出血部位は、近似しており、発症の経過についても、進行性である点で一致しているものの、意識不明に至るまでの期間は、約二〇時間であること、予後も最悪である死亡に至っていることなどの点で、典型的な隠れた脳動静脈等の奇形とは異なる面も有している他、隠れた脳動静脈等の奇形が発症する頻度が少ないことをも考え合わせると、隠れた脳動静脈等の奇形が原因である可能性が高いが、これによるとまで断定することができない。
(四) 右の認定、考察を総合すると、光の脳出血は、隠れた脳動静脈等の奇形ないし脳動脈瘤破裂によって発症したものと経験則上推認するのが相当であると判断する。
四光の脳出血の業務起因性
1 労基法七〇条、八〇条にいう「労働者が業務上死亡した場合」とは、労働者が業務に起因する負傷または疾病に基づいて死亡した場合をいうが、これを脳出血の疾病についてみるに、脳出血は、身体的素因等から業務に無関係に発生する可能性も高いものであるから、これが業務遂行中に発症した場合であっても、直ちにこれが業務に起因するものとは言い難く、その発症と業務との間に相当因果関係がある場合に、業務に起因する疾病と判断すべきである。そして、業務と疾病の発症との間に相当因果関係がある場合とは、単に、疾病が業務のみを原因として発症した場合だけではなく、業務と身体的素因等が共働して疾病が発生した場合も含むが、業務が相対的に有力な原因であることが必要であって、単に、業務が疾病発症の誘因ないしきっかけとなったにすぎない場合は、業務と疾病の発症との間に相当因果関係がある場合には含まれないと解するのが相当である。
2 ところで、<書証番号略>、鑑定人上畑鉄之丞の鑑定の結果及び証人中島正二の証言を総合すると、以下の事実が認めることができる。
(一) 脳動脈瘤破裂は、脳内の血管の隆起した層が破裂するものであって、先天的または後天的な脳動脈瘤の存在及びそれに対する加齢等による血管硬化及び血圧上昇等の血行力学的な要因によって発症するものであり、また、隠れた脳動静脈等の奇形は、症例が少なく、医学的な定説はないが、脳内の血管のうち、毛細血管の欠落等の奇形が破裂するものであるから、隠れた脳動静脈等の奇形の存在の他の破裂の誘因としては、脳動脈瘤破裂と同様、加齢等による血管硬化及び血圧上昇等の血行力学的な要因の影響を受けるものと推測されている。なお、具体的に、社会生活のどのような出来事が脳動脈瘤破裂及び隠れた脳動静脈等の奇形の誘因となるかについては、明確な統計はないが、脳動脈瘤破裂については、三分の一は睡眠中に、三分の一は特別な状況の無いときに、三分の一は、特別な状況下(興奮・性交・排便時等)に、発症するとする統計もあり、一見、時間的に平均して発症しているようであるが、通常人では一日の三分の一もの間特別な状況下にあるはずはないから、これらの特別な状況があるときは、これらの特別な状況が、脳動脈瘤破裂あるいは隠れた脳動静脈等の奇形の誘因となっていると推認することができ、ひいては、その発症が、前記の血管硬化及び血圧上昇等の血行力学的な要因の影響を受けることを裏付けるものといえる。
(二) そして、精神的ストレス及び身体的ストレスが、人の血管硬化及び血圧上昇等の血行力学的要因にどのような影響を与えるかについては、医学的には、種々の見解があるが、疫学的には、動物実験等で、過大なストレスが動物に負荷された場合に、一時的ないし持続的な血圧上昇が招来され、血管が硬化するような物質が動物の体内に多量に生産されるという結果が得られているほか過大なストレスにさらされている人について、動脈硬化性疾患が高率に発生している等の統計が世界的に多数紹介されており、また、医学的には、緊張、興奮時には血圧上昇、心拍数増大及び抹消血流の増加が招来されることは定説であり、他方、過大なストレスが人の血管硬化及び血圧上昇を招来することについて、明確に否定するような研究もされているとは認められないから、過大な精神的、肉体的ストレスによって人の血管硬化及び血圧上昇が招来されることが容易に推認することができる。
3 そこで、光の従事していた本件業務とそれによるストレスの光の脳出血発症に与える影響について検討する。
(一) 前記の認定によると、出張前の光の従事していた仕事は、身体的・肉体的に比較的軽度で、出張に際しても、特に残業整理等で、負担が増加したとは認められないから、これが、過大なストレスを光に与えたと認めることはできない。
(二) 前記認定の事実によると、出張前の光の労働時間は、昼食の休憩時間を除くと、拘束八時間四五分であったのに対し、出張後の労働時間は、同様の基準では、一〇時間三〇分となること、また、出張後の勤務時間帯は、出張前に比して、始業が一時間遅れるため、就業時間が夜間にずれ(午後八時ころまで)、長年規則的な昼間勤務を続けていた光の場合、このことが、身体的負担を大きくする事情となっていたこと、そのうえ、勤務中の状態も、出張後は、一日中、立ちっぱなしの業務であって、慣れるまでは、足がパンパンに張るような状況であったこと、通勤については、出張前は、自家用車で約三〇分程度で勤務先に到着することができたのに対して、出張後は、正常に電車や地下鉄を乗り継いでも約一時間二〇分を要しないとマツモト電器店に到着せず、この通勤時間の長さも、光の身体的負担を増加させていたが、その通勤時間もさることながら、通勤経路が、富士館から徒歩三分で本郷駅、本郷駅から地下鉄丸ノ内線で池袋駅、池袋駅から東上線で鶴瀬駅、徒歩五分でマツモト電器店という経路であって、時間帯は通勤ラッシュのピークからははずれ、また、東上線は混雑する方向とは逆方向であったとはいえ、丸ノ内線に乗っている時間帯は、通勤ラッシュと重なり、交通の要所の池袋駅での乗り換えの際人混みに揉まれるなどのこともあったことは経験則上容易に窺われるから、東京での生活や勤務の経験がなかった光にとっては、肉体的にかなりの負担を強いられたというべきであるし、また、出張によって、単身、東京へ赴き、他の派遣者と旅館の相部屋で生活し、夕食は外食を余儀なくされたため、生活の急激な変化による身体に対する負担も著しいものであったというべきである。
(三) また、前記認定の事実によれば、光が、販売業務応援のための出張に承諾したのは、静岡製作所の方針によって、従業員が順番に出張に参加することが暗黙の前提となっていたからであったが、出張前は、工場内の仕事に携わっており、接客業の経験はなかったし、元来、内向的な性格であって、接客業には不向きであったこともあり、出張前から、接客業に携わることに対して、不安を抱いていたこと、現に一般的に出張開始後一週間から一〇日は、初めての者は仕事にならない状況であったうえに、出張先では、自社の製品に限らず、他社製品も販売しなければならず、他社製品についても、相当の知識も必要であったところ、光は、元来仕事に対する責任感が強い性格であったため、出張前から、その妻を相手に、販売の予行演習をしたり、出張後も、商品研究をしていたものであるから、相当な精神的負担を受けていたと推測されるし、出張後の生活環境も、前記のように、出張前に比して急激に変化していたから、このような生活環境の変化による精神的な負担も無視できないものであったというべきである。
(四) また、前記の認定によれば、光には十二指腸潰瘍の既往症があったこと、光は、内向的である反面真面目な性格であったから、身体的、精神的ストレスに弱いタイプであると推認される。
4 以上の考察に照らすと、光の出張中の本件業務は、光に対して身体的、精神的に過重な負荷を与えたと認められ、このような負荷によって、前記の光の身体的素因である脳動脈瘤ないし脳動静脈血管奇形を急激に増悪し、その破裂に至らしめ、脳出血を招来したものと推認するのが相当というべく、本件業務の負荷の過重であることに照らすと、本件業務は、光の脳出血の発症及びそれによる死亡について相対的に有力な原因となったと認めることができるから、光の本件業務とその死亡との間には相当因果関係を認めるのが相当であり、光の死亡は、労基法七九条、八〇条にいう「労働者が業務上死亡した場合」に該当するものと判断するのが相当である。
五結語
以上の次第で、原告の本訴請求は、理由があるのでこれを認容することとし、訴訟費用について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官塩崎勤 裁判官小林登美子 裁判官水野有子)